今の時代、ネットで見ることはできるけど、やはり現場で実物を見ると違うものです。
紙問屋であった酒井家は、浮世絵師の版元(スポンサー)をしていました。
3代目の酒井コレクションであったものが松本市に寄贈され、
現在、財団法人の日本浮世絵博物館として活動しています。
ミシュランガイドで2つ星の評価を受けている日本浮世絵博物館の
5代目の酒井館長にお話しをお伺いしました。
浮世絵は江戸が中心であり、京都や大阪では上方絵と呼ばれていました。
そもそも、教科書にも出てくるこの浮世絵師とはどういう人たちだったのでしょう。
浮世絵には、実は一点ものの肉筆画と量産される版画の2種類があります。
浮世絵師が全て自分で手作りしていたのではありません。
当時のスポンサーである版元が浮世絵師に依頼、そこから彫り師へ渡り、さらに摺り師へと渡されます。
現代の感覚だと、会社が浮世絵師に依頼を発注し、浮世絵師がデザイン案を作成します。
そこから印刷会社に渡され、デザイン案が印刷され初めて作品として完成するようなもの。
浮世絵とは、江戸時代の最高の技術の集大成であったのです。
つまり、葛飾北斎や歌川広重など、歴史上有名な浮世絵師とは、
今で言えば会社から独立してフリーで活躍していたデザイナーということなのかもしれませんね。
当館はなぜ”日本”浮世絵博物館と呼ばれているのでしょうか。
それは、現在では収集の難しい浮世絵を世界でも類を見ないほど収蔵されているからです。
現在、展示されている浮世絵が収集品の一部であるのは、
それだけ保存状態を保つのが難しいことが挙げられます。
と、質のいい保存状態を保つことに苦心している様子が伺えました。
それほどの浮世絵を質のいい状態で見ることができるのが、
大きなポイントではないでしょうか。
情報発信の手段でもあったこの浮世絵は、
万国博覧会をきっかけとして、19世紀後半ヨーロッパに多大な影響を与えました。
今なお、世界で影響を与えている一つの証明かもしれません。
館内には、販売ブースもあります。
お気に入りの浮世絵を見つけてみてはいかがでしょうか。
最後に、酒井館長から観光の方へのメッセージをお伺いしました。
また、隣の敷地では松本市の運営する松本市歴史の里があります。
いっしょに見学してみてはいかがでしょうか。
※取材日:2017年3月25日