明治9年から昭和38年まで使われていた旧開智学校。
ほとんどの学校が取り壊されている中で、
当時の様子を今に伝える貴重な建物です。
長野県内では最古の小学校で、明治6年(1873年)に建てられました。
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現存する建物と教育資料の2つが、旧開智学校の見どころとなっています。
![旧開智学校](https://walking-matsumoto.net/wp-content/uploads/2017/03/CIMG2849A.jpg)
![旧開智学校](https://walking-matsumoto.net/wp-content/uploads/2017/03/CIMG2853A.jpg)
唐破風という日本特有の弓状の屋根に天使が付けられ、
玄関を覆っている車寄せには竜のレリーフ。
更に瓦の屋根から塔が突き出ているというデザインは、
当時の感覚からするとかなり度肝を抜かれるものだったよう。
擬洋風というデザインが生まれたのはなぜでしょうか。
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明治初期と言えば、文明開化により、
西洋文明を怒涛の勢いで取り込んだ時期であったと思われます。
だからこそ、人々は新しい時代への象徴として、
これまでにはなかった洋風建築に思いを馳せたのかもしれません。
![旧開智学校](https://walking-matsumoto.net/wp-content/uploads/2017/03/CIMG2863A.jpg)
擬洋風建築を建てた建築家は、洋風建築の技術を学んだことのない人が
作った結果であると言われることがあります。
しかし、当時の状況を考えると、洋風建築の技術を教えてくれる人も、
そのための材料もない時代であったのかもしれません。
![旧開智学校](https://walking-matsumoto.net/wp-content/uploads/2017/03/CIMG5584A.jpg)
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この時代のレンガは、国の管理する官営工場で作られていました。
場所が限られていて、入手は困難であることが考えられます。
地方の学校のために、
そう簡単に入手できるようなものではなかったかもしれません。
また、松本に駅が開通したのは1902年。
学校の建築はそれよりも前のことです。
仮に入手できても大量のレンガを運ぶ手段がなかったとも推測されます。
そのような中、それでも人々の希望に応えるために、
大工棟梁はどうにかして西洋建築に見えるように尽力したのでしょう。
それが「擬洋風建築」を生み出したのではないでしょうか。
![旧開智学校](https://walking-matsumoto.net/wp-content/uploads/2017/03/CIMG5576A.jpg)
旧開智学校は一人300円で気軽に入ることができます。
校舎の入り口には売店が設けられており、
おみやげを探してみるのもいいかもしれません。
![旧開智学校](https://walking-matsumoto.net/wp-content/uploads/2017/03/CIMG5577A.jpg)
おみやげには、旧開智学校のペーパークラフトなども。
![旧開智学校](https://walking-matsumoto.net/wp-content/uploads/2017/03/d42776cc0a531e3201daa0fe74d1153d.jpg)
パンフレットに記載されている旧開智学校の全体図です。
1階から2階へぐるっと一周するようになっています。
![旧開智学校](https://walking-matsumoto.net/wp-content/uploads/2017/03/CIMG2872A.jpg)
売店左手の廊下から学校校舎に入ります。
重厚そうな扉に取りつけられている竜のレリーフが目に飛び込んできます。
![旧開智学校](https://walking-matsumoto.net/wp-content/uploads/2017/03/CIMG2874A.jpg)
英語の案内文。
当時、30以上の教室があったこと、江戸時代から現代までの教育の変遷、
開発費の7割が市民からの寄付であったことなどが書かれています。
![旧開智学校](https://walking-matsumoto.net/wp-content/uploads/2017/03/CIMG2877A.jpg)
教室の様子。
机はかなり小さく、現在の小学校1年生くらいの子たちが
使っていたのではないでしょうか。
![旧開智学校](https://walking-matsumoto.net/wp-content/uploads/2017/03/CIMG2891A.jpg)
旧開智学校は、現在新開智小学校に隣接していますが、
開設当時は女鳥羽川沿いにありました。
写真中央から右側の奥のほうへとL字形に校舎が伸びています。
![旧開智学校](https://walking-matsumoto.net/wp-content/uploads/2017/03/CIMG5466A.jpg)
模型で見る当時の校舎の様子。
30以上もの教室があったことが伺えます。
現在は手前の部分だけが残されています。
![旧開智学校](https://walking-matsumoto.net/wp-content/uploads/2017/03/CIMG5487A.jpg)
部屋ごとに様々な資料を展示しています。
![旧開智学校](https://walking-matsumoto.net/wp-content/uploads/2017/03/CIMG5548A.jpg)
2階講堂の様子。
明るさもあってか厳かな雰囲気です。
![旧開智学校](https://walking-matsumoto.net/wp-content/uploads/2017/03/CIMG3040A.jpg)
玄関の正面バルコニーの部分に当たる窓にはステンドグラス。
日の光に当たってきれいです。
![旧開智学校](https://walking-matsumoto.net/wp-content/uploads/2017/03/CIMG5505A.jpg)
旧開智学校は、明治天皇も松本巡幸の際に見学しています。
天皇の御座所と講堂のみ、松本の特産品である
竹を編んだ「みすず細工」で敷き詰められています。
![旧開智学校](https://walking-matsumoto.net/wp-content/uploads/2017/03/CIMG5568.jpg)
2階の階段で。
危うく素通りするところでしたが、
よくよく見たらドアがなんだかおかしな位置に…。
![旧開智学校](https://walking-matsumoto.net/wp-content/uploads/2017/03/CIMG5574A.jpg)
どうやら小学校時代の名残だったようです。
階段の構造自体が異なっているので、
改築されたことがあるのでしょう。
![開智小学校](https://walking-matsumoto.net/wp-content/uploads/2017/03/CIMG3108A.jpg)
こちらは現在の開智小学校(写真右側の建物)。
奥にある旧開智学校と隣接しています。
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尖塔を備えている点が、確かに似ているかも。
いかがでしたか。
旧開智学校は90年、約1世紀もの間使われてきました。
その間の出来事を資料として閲覧することができます。
![旧開智学校](https://walking-matsumoto.net/wp-content/uploads/2017/03/CIMG2843A.jpg)
隣に旧司祭館がある他、松本城からも近く、
歩いて7~10分もあればたどり着ける距離です。
松本城といっしょに観光してみてはいかがでしょうか。
最後に観光にやってくる方にメッセージをお伺いしました。
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※取材日:2017年2月24日・3月27日