通りにくいのはわけがある。昔の防御施設の名残である食い違いとは?

「松本市の道って入り組んでて複雑…」
「道幅狭いよねぇ」

例えば、松本城から南側の中町通りなどで、
大通りから外れると狭い道に出くわすことがあります。
しかもまっすぐな十字路ではなく曲がっているために入り組んでいます。

車で通るのはやたらと大変。
なぜ、こんな作りになっているのでしょう?

 

実は城下町としての名残
松本市内の様子

狭くて通りにくいのは、
実は近世の城下町であったことの名残。
松本城が築城された当時の気持ちになって、
考えてみましょう。

お城の防衛とは、本丸である天守閣とその周辺の施設さえ
防御を固めておけばいいというものではありません。

もし、自分が街を運営している殿様だったとしたら
防衛はどのように考えますか?

お城、武家屋敷、商人の町屋も含め、
町ごとすべて「一つの防衛拠点である」
と考えるのではないでしょうか。

当時の戦は、まず部隊を指揮するリーダー(足軽組頭など)がいて、
リーダーの指示の下、集団で行動をするものです。

道をわざと狭くしたり、入り組んだ道を作ることで、
相手に攻め込まれにくくしているのです。

相手の足止めをする食い違い
松本市内の様子

マラソンなどでもそうですが、
曲がりくねった道を集団が走って通過しようとすると、
わずかながら動きが遅くなりますよね。

手前の右折から、タクシーが入ろうとしている道へ、
集団がなだれ込もうとする様を想像してみて下さい。

スムーズに移動するのは困難です。
これが「食い違い」と呼ばれる防御を備えた道の作り方なのです。

現代の感覚だと、ただの狭い道くらいにしか思えないかもしれません。
なかなか気に留めるものでもありませんが、
当時の名残だと考えると見え方も変わってくるのでは?

中町通りの北側に松本城の三の丸があった!?
蔵造りの商店が並ぶ中町通り

蔵造りの商店が並ぶ中町通りで、
2、3箇所この食い違いが見られます。

しかし、なぜ商店街にこんな防衛施設を設けたのでしょう?

上記写真の左手側にある細い路地を抜けると田川(女鳥羽川)に出ます。
現在、田川(女鳥羽川)沿いにナワテ通りが賑わっていますが、
ここには当時、土手と松本城の惣堀がありました。

つまり、中町通りのすぐ北に松本城を取り囲む防衛施設があったということです。

中町通り周辺

田川(女鳥羽川)より北は、
松本城の三の丸として武家屋敷が立ち並び、
敷地内は容易に見渡せないようになっていました。

かたや、中町通りは善光寺街道として、
北と南の道を繋げるメインストリートであったと思われます。
敵が攻めてくるとしたら、
行軍がしやすい街道を使うであろうことは容易に想像がつきます。

やはり、少しでも防衛能力をあげるために、
食い違いを作ったのではないでしょうか。

惣堀は現在、松本城東側に一部を残しているだけです。
武家屋敷だった大手通りは、ビジネス街になっています。

松本市内の様子

細い路地を抜けた先、
中央の盛り上がった橋のところにある「止まれ」の標識。
当時はそこに城壁(あるいは土手)が見えていたのかもしれません。

 

これって食い違い?それとも…
田川(女鳥羽川)にかかる千歳橋

ちなみに、田川(女鳥羽川)にかかる千歳橋北側にもあるこちらの曲がりくねった道。
これは食い違いなのでしょうか?

ここには、かつて南側から唯一入城することのできる
太鼓門のような大きな門(大手門)がありました。
ここから、現在の松本城の敷地までは300メートルほど離れています。
ここに中・上級武士の住む武家屋敷が広がっていたのです。

 

いかがでしたか?
当時の環境がそのまま残っていると考えると、
道幅が狭く通りにくい道も風情があると
感じられるのではないでしょうか。

中町通りは蔵造りの町並みが見られる人気スポットです。
ついでに、幅の狭い道路からも当時の面影に
思いを偲ばせてみてはいかがでしょうか。

 

※取材日:2017年2月21日

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