松本城周辺には何がある?松本神社の歴史を学ぼう~北側編その1~

松本城周辺には何がある?松本神社の歴史を学ぼう~北側編その1~

松本神社

「松本城の周辺にはどんなものがあるの?」
せっかく松本城まで観に来たのですから、
他にもあちこち回ってみたいものですよね。

松本城の北側には、お堀と道路を挟んだ向かい側に
松本神社があるんです。

赤い埋橋の前を通過し、北側から出ると、
松本神社は目と鼻の先です。

松本城との縁が深い松本神社

松本神社から見る松本城

神社の境内からでも松本城が大きく見えます。

 

松本神社

元々は、暘谷大神社という名で、城主の息子だった松平永兼を祀ったものでした。
更に、城主の松平(戸田)康長、妻の松姫など近縁の者を
祭神とした社(計4社)を合祀し、「五社」と呼ばれるようになります。

そこから松本城を築いた島立貞永も合祀して現在の松本神社に改名されました。

 

真田丸と松本城を繋げる「丸馬出し」とは

松本神社

元々、この神社は松本城の三の丸の中にありました。
昔であれば、上の写真には土塁とお堀が
写っていたのかもしれません。

また、右側は松本神社の境内ですが、
道路となっているところに北不明門(きたあかずのもん)と、
丸馬出しという防御施設があったと思われます。

残念ながら、現在は松本神社の脇にある井戸に
門と馬出しがあったことを示す碑が残っているだけ。

松本城北不明門馬出跡

実はこの馬出しとは、2016年に放送された大河ドラマの
タイトルにもなった「真田丸」とルーツは同じ。

松本城の馬出しは武田氏の治世下で作られました。
真田は武田の家臣ですから、馬出しを発展させて
真田丸を作ったと思われます。

松姫は醜かった?市民に伝わっている伝承

暘谷大神社

この松本神社、市民の間では奇妙な伝承が伝わっています。

縁結びの神社でありながらカップルで参拝してはいけないのは、
祭神である松姫に嫉妬されてしまうからだというのです。

松姫は容姿が醜くて貰い手がいなかった。
兄の徳川家康が貰い手を見つけるために大名たちに呼びかけ、
松平(戸田)康長と目が合ったので、結婚することになった。
しかし、松本城の乾小天守に幽閉され、身投げしてしまった。

という伝承(バリエーションがある)も、まことしやかに伝わっています。

暘谷大神社で祀っているのは松姫の息子である松平永兼ですが、
暘谷様=松姫とも考えられているようです。

本当は美人?松姫の実像とは

伝承ではひどい言われようですが、本当の松姫は美人だったそう。
こうなると、どっちが正しいのか謎めいてしまいます。

しかし、康長が6歳、松姫が5歳のときにすでに婚約していたため、
伝承のような事態は起こりうるはずがありません。

決定的なのは、松本の地を踏むことなく24歳という若さで
二連木城(愛知県)で亡くなっていることでしょう。
乾小天守に幽閉されていたというのも…、全くのデマなんでしょうか?
どちらかと言えば、伝承よりこちらのほうが根拠がありそうです。

史実では後々、城主の家系に不幸が相次ぎました。
これは、自分の息子が跡継ぎになれなかったことを悔やんだ松姫の祟りでないかというので、
松姫はなんと怨霊にされてしまったのです。

そこから伝承が生まれたのだとしても、
なぜゆえこんなにもチグハグな伝承が生まれたのでしょうね。
興味が尽きません。

松本神社前井戸

松本市は水が豊富であちこちに井戸や湧き水があります。
松本神社の脇にも井戸水が湧いています。

 

いかがでしたか。

普段の境内は物静かで落ち着いた雰囲気に包まれていますが、
7月10日、11日のお祭りになると大きな賑わいを見せます。

松本城を観るなら、ぜひとも縁の深い松本神社にも脚を運んでみてはいかがでしょうか?

続きはこちらの記事をご覧ください!

松本城周辺には何がある?旧開智学校、旧司祭館など~北側編その2~

 

※取材日:2017年2月24日

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